「老害」はなぜ生まれてしまうのか?

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昔はよかっただの、最近の若い奴らはダメだの、

お年寄りが口酸っぱくいうことがありますよね。

どうして、この世代間の争いが生まれてしまうのか考えたのですが、

異文化を尊重できないということは、

自分の人生が幸せでないということなのかな、と感じました。

妬みとは、

”隣の芝生は青く見える現象”

だと思いますが、

これは自分が幸せで満ち足りた人生の人には発動しない現象なんですね。

幸せで満ち足りた人ならば、「そういう文化もあるよねー」と多様性を尊重(許容?)することができるわけです。

あと、不思議なことに、この世代間の争いというのは、

老齢層から若年層に向けての嫌悪感という形をとることが多いです。

「老害」という言葉もありますが、

やはり「最近の若い世代は~」の方が多いと思いますね。

その理由としては、

どんどん便利になっていく社会とそれに適合していく若い世代への妬み

若さへの妬み

があるのだと思います。

昔はもっと大変だった、お前らも苦労しろ

というメッセージもあるかもしれません。

自分がした苦労を、若い世代がしないのが、

不公平感につながっているのかもしれないですね。

どうして、そういう風に、老人になると若い世代を悪く言わないといけないのか考えると、

自分たちの寿命に近づき衰えていく老いへの無念さ

みたいなものと無関係ではないと思うのです。

老いることに折り合いがついていない老人が多いのではないでしょうか?

その証拠に、御年90歳くらいになる明らかなおばあちゃんおじいちゃんというのは、大らかなことが多いです。

一方で、いわゆる初老というか、定年した直後みたいな人は、他人に対して厳しかったりします。

現役を終えて、目標を見失った不安定な精神状態が、若い世代への嫌悪感を生んでしまうのかもしれないです。

まとめますと、世代間の争い(妬み)みたいなものがなくならないのは、

  • どんどん便利になっていく社会とそれに適合していく若い世代への妬み
  • 若さへの妬み
  • 昔はもっと大変だった、お前らも苦労しろ(不公平感)
  • 自分たちの寿命に近づき衰えていく老いへの無念さ
  • 幸福感の欠如

この辺りが原因なのではないか、と推察します。

私は、自分とは異なる世代に向けても、慈愛の精神を持って接したいと感じました。

そのためには、自分自身が幸せであること、老いを受け入れていくことが大切であると考えています。

今日は性依存症と関係がなくてすいませんでした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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