タイトルは、簡単に訳せば
痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)
ということになります。
以前お話しした、村上春樹さんの冒頭に出てきました。
この、Pain is inevitable. Suffering is optional.というセリフは何なのかというと、
あるマラソンランナーが走るときに心の中で唱えていたマントラなのだそうです。
哲学的で、考えさせられますよね。
確かに、痛みというのは、避けられません。
足を踏まれていたいとかもそうですし、骨折や虫歯の痛みも避けられません。
走る上での心肺や足の痛みもそうです。
ところで、心の痛みももちろんあります。
私の場合は、解雇というのが心の痛みを伴う出来事でした。
このように、痛みというのは歴然とした事実として存在しますが、
そこから、
「ああ苦しい」
「引きこもりたい」
「自殺したい」
「無差別殺人をしてから刑務所に入りたい」
というような、ある種の苦しみ・絶望・自暴自棄・諦めのようなものに至るかどうかは「自分次第」なのではないでしょうか。
痛みの中に、「なにかを学ぼう」という姿勢があれば、それは痛みではあるけれど 苦しみ・絶望・自暴自棄・諦めには至らないのではないかと思うのです。
積極的に「何かを学んでやろう」という姿勢とまではいかずとも、「経験にしよう」「(痛みを経験して)成長出来たな」とそれなりにポジティブにとらえるのがいいんじゃないかと最近は考えています。
しかし、時々、自分から(心理的にも身体的にも)痛みに向かう人がいますね。
滝行とかバンジージャンプとかトライアスロンとかフルマラソンとか。
そこには、成長・経験・非日常感などが隠れているんでしょうね。
痛みはあっても、苦しみは全くありません。
痛みというのは、人生を彩ってくれるスパイスなのかもしれません。
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