当たり前のことですが、生まれながらにして我々は不平等です。
子どもがどんな親のもとに生まれるのかは運任せであり、家庭環境によって人生を左右されることを、スマホゲームの「ガチャ」にたとえて「親ガチャ」と言われたこともありますね。
つまり、人生において、与えられる手札(カード)は人それぞれだということです。
そのなかで、どう人生を組み立てていくか。
なかなか難しい問題です。
どうしても、他の人のカードを羨ましがったり、自分に足りないカードのことを考えてしまいます。
しかし、本当は、与えられた手札(カード)をどう使っていくかということにフォーカスすべきです。
ジェンダーの問題もそうです。
性別というものは与えられたものであり、どうしようもありません。
別の性別だったらよかったとか、異性を羨ましく思っても、何も解決はありません。
与えられた性別でどう頑張っていくかということなんだと思います。
- 学力や偏差値
- 身体能力(スポーツ)
- 容姿
このあたりも、遺伝的な要素はかなり強いですね。
どんなバックグラウンドがあっても、自分の居場所は必ず見つかりますし、活躍できるポイントを上手く見つければ、そんなに人生困難にはならないはずです。
繰り返しになりますが、与えられた手札(カード)をどう使っていくかということにフォーカスすべきです。
ところで、性依存症のことを考えると、
これは、「ジョーカー」のようなものだなと最近感じます。
性依存症は人生を悪い方向に持っていく力が強く、耽溺すればとても強い刺激が得られます。
とにかく、通常とは違うカードです。
そして、なぜかわかりませんが、この「ジョーカー」は人生の途中から手札に入り込んできます。
(入り込むんじゃなくて、自分から手札に組み入れるのかもしれませんが…)
そして、完治しないとも言われる性依存症ですが、この「ジョーカー」は捨てることができません。
一生、手札に加えていなければいけないのです。
さてどうすればいいでしょう。
手札にジョーカーがある状態で、平然としていられる人は少ないのではないでしょうか。
少なくとも私は落ち着いていられず、他人にも自分にも迷惑をかけましたし、多くの信頼を失いました。
しかし、そんな「ジョーカー」を手札に持っている状態で、
「ジョーカー」さえなければ、と嘆いても意味がありません。
「ジョーカー」を持っていない人を羨んでも何も解決しません。
与えられた手札(カード)をどう使っていくかということにフォーカスすべきです。
私が考えるのは
- 「ジョーカー」について知ること
- 「ジョーカー」の発動条件について知ること
- 「ジョーカー」をポケットか何かにいれて、隠すこと
この辺りがポイントなんじゃないかと思います。
とにかく、変なたとえ話で恐縮ですが、性依存症者は手札にジョーカーがある状態だと思います。
その手札でどう生きていくかは自分次第ですから、賢い選択をしたいものです。
自戒を込めて。
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