性依存症者の中には「このままでいいんじゃないか」という気持ちが少しはあるでしょう。
「ここは変えなくていい」
「自分はこのままで大丈夫」
という考え方です。
確かに、生きていますから、このままで大丈夫です。このままの生き方で、生存できるでしょう。
むしろ、性依存症の問題行動をしていながらも、なんとかなっている(うまくやっている)という風に自分を捉えていれば、そんなに悪くない自己評価になるはずです。
性依存症者の口から良く発せられる言葉が、
「首の皮一枚つながった人生」
です。
私も言ったことがありますが、本当に皆さんよく口にします。
この言葉の中には、
「たくさん悪事を働いたが、自分の中のいい部分もある」という認知
つまり、「変えなくてもいい部分がある」という自分への慰めが込められているんじゃないかと思うのです。
つまり、それは自分への甘さでもあるのです。
今までの自分を超えるためには、自分を全面的に否定する必要があるのではないでしょうか?
「首の皮一枚つながらなかった人生です」
私は最近、自分のことをこう考えるようにしています。
そうすると、なんだか「背水の陣」感が出て、背筋が伸びてきます。
ニュアンスとして伝えるのが難しいのですが、性依存症の治療はげんなりとした萎えた感じでは良くないと思いますので、
それなりにシャキっとなる言葉を自分で見つけるのがいいのだと思います。
私の場合、それが、「首の皮一枚つながらなかった人生です」なのです。
コメント