今日は、偽善しかないですよ~という話をしたいと思います。
そもそも、「善」って何という話題です。
自分の為に行う行動
自分の為に行う行動は、そんなにトラブルが起きません。
たとえば、
- 疲れたから休む。
- モテたいから筋トレする。
それらは、良かれと思ってやっていることで、本当に良いことだったかを判断するのは、結果です。
つまり結果論というやつです。
そして、結果が良ければ、繰り返すんです。
疲れたから休んでみると、すごく調子がいいのであれば、その人はしっかり休みをとる習慣ができるでしょうし、
筋トレしたらすごいモテたということであれば、筋トレ大好き人間になるかもしれません。
繰り返しますが、自分の為に行う行動は、結果論なのです。
そして、休み過ぎて仕事の効率が落ちたり、筋トレしすぎて「気持ち悪い」と言われたり、けがをしたりするようになれば、それはそれで負のフィードバックがかかって、自粛するようになるでしょう。
「やりすぎ注意」というブレーキ機構も備わっているんですね。
つまり至適を探っていく感じです。
まとめますと、自分の為に行う行動の「善」といのは、結果論であり、ある程度ブレーキ機構も備わっているため、至適があるということです。
他者に対しての行動
では、他者に対しての行動はどうでしょうか?
良かれと思ってやる。
これは、やっている本人からすれば、「良いこと」です。
しかし、それが本当に良いことかどうか決めるのは他者です。
つまり、主観的な「善」というものと客観的な「善」とは、どうしても差が生じてしまうのです。
評価者が違うわけですからね。
極論を言えば、自分から見た善は、他者からみたら悪かもしれないのです。
時代背景もあります。
今は、人を殺すのは良くないですが、戦時中は相手の兵士を殺すのが美徳でした。
そんな感じで、だれかにやってあげる行動というのは常に偽善であり、善かどうかを規定するのは他者であるという認識が重要です。
誰かに何かをするときは、「相手はどう思うだろう」という視点が肝要です。
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