何も持たないで生まれてきたということを思い出すようにしている。
地位も名誉も金も家族も、何もなしで私は生まれてきた。
生きていくうちに、色々なものを獲得してきた。
同時に、色々失ってきた。
私は、人よりも失う機会が多かったと思う。
依存症のせいだ。
依存症という病気のせい、というよりは自分のせいといった方が適切かもしれない。
今日は、その議論をしたいのではなくて、人生における獲得と喪失のことを話したい。
獲得することは、善なのか。悦びなのか。
失うことは、悪なのか。悲しみなのか。
よく考えていくと、この答は難しい。
確かに、勉強して知識を得たり、友達が増えたりすることは悦びだと思う。所得が増えるのもいいことだと思う。
しかし、つねに獲得を目指しても、いまもっているものを大切にできないし、疲れてしまうと思う。
逆に、断捨離をするとスッキリすることだってある。以前、ラインの友達を整理したことがあるのだけれど、あの時はスッキリした(そのせいで、今ではラインのともだちが28人しかいない)。
結局は、何かを獲得することは、選択肢を増やすことである。
選択肢が増えると、人は安心するだろう。もしもの時の、スペアがある方が安心する。
しかし、選択肢が増えることは、既存のものを大切にできなかったり、選択が煩わしくなるというデメリットがある。
洋服でも、人間関係でも、以上のようなことが言えると思う。
結局は、「至適」というのが存在している。
靴の数は3足くらいがいいとか、親友の数は3人がいいとか、配偶者は1人がいいとか。
最近は、週6で仕事をしているが、これはバランスが悪いことに気付いた。
お金は不必要なほど溜まるが、時間がこれっぽちもない。
なにも考えることなく一日が終わってしまう。
会話らしい会話がなく一日が終わってしまう。
今後は、仕事の量、収入、余暇、そのあたりのバランスを見極めたい。
「収入の断捨離をする」といったところか。
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