今、私は深い愛で包まれている。
こんな私を見捨てないでいてくれた妻のことを愛している。
愛している妻を悲しませたくない、そう思いながら日々過ごしている。
誤解を恐れずに言えば、私は性依存症になってよかったと思っている。
妻との絆が深まったし、
大切なことを勉強する機会を与えてもらった。
意志とは何か、欲とは何か、生きがいとは何か、決断とは何か、
毎日が勉強だが、それが楽しい。
もちろん、性依存症で傷つけた人がいる。
被害者、家族、関係者、
多くの人を傷つけ、悲しませてしまった。
取り返しがつくもの、つかないもの、様々だろう。
私は、償いとは何かと考えると、
依存症から回復していくこと
という結論になった。
そうすれば、新たな被害者も出ないし、誰も悲しまない。
しかし、依存症から回復するというのは、
実は幸せになることであり、愛に包まれることだと気付いた。
ここで、疑問が湧く。
被害者が苦しんだのに、自分は幸せになっていいのか。
償いというのは、罰をうけること、苦しむこと、というイメージが私の中にある。
きっと皆さんの中にもあるだろう。
しかし、その固定観念が間違っているのではないかと最近は考える。
繰り返しになるが、
償いとは、 幸せになることであり、愛に包まれること。
私は、このような結論に達した。
もちろん、刑事罰を受ける、民事的に損害賠償をする、被害弁償する
そのあたりは必須だ。
その先のこととして、
償い
をしてくのであれば、私は幸せになるべきだと考えている。
皆さんにとって、償いとは何だろうか?
(終わり)
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