哀しみは、人の魂を深くします

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タイトルに書いた「哀しみは、人の魂を深くします」という言葉は、

Twitterの「村上春樹のつぶやきbot」というところで目にした文章です。

これです。

村上春樹のつぶやきbot(@EssentialWord1)さん / Twitter

哀しみは、人の魂を深くするのでしょうか?

うーん。

そうなんだろうか。

うーん。

私の場合は、後悔の多い人生ですし、反省点も多いし、取り返しのつかない問題がたくさんあって、

でも、その取り返しのつかない問題から逃げることはできなくて(逃げるためには自殺するしかない?)、何とか生きていくかという感じなんですね。

他人から見たら、「こいつ、しぶとく生きてやがる」と思われるかもしれませんが、

確かにしぶとく生きているんですよね。

死ぬ気はないです。

なんか、まだ、残りの人生は楽しいこともありそうな予感がしているんです。

話がそれました。

つまり、「哀しみ」と聞いて、いろいろなことを思い出すんです。

一番は、留置場や検察庁です。入っているときは情けなかったです。

それと、警察の面会室。あそこで、関係者と面会するのは哀しみ以外のなにものでもありません。

職場に謝罪に行ったこととか、解雇させられたことなども哀しみです。

元家族との離別も当時は悲しかったです。

母親にも迷惑をかけました。

以上のように、私の人生は哀しみで満ちています。

しかし、これらの経験が「人の魂を深く」してくれるのか。

そんな、高尚な話にしちゃっていいのか。

恐れ多い気がしますね。

しかし、確かに、自分自身が変化しているのは実感します。

まず、他人の悲しみや弱みについて共感できるようになりました。

例えば、安倍元首相を銃撃した山上容疑者。

あの人が起こした犯罪は結果も重大で非難されるべきものです。

しかし、背景として、母親が統一教会に多額の寄付金を納めて破産したこと、実兄が自殺したことなどを聞くと、彼には機能不全家族で育ったアダルトチルドレン的な要素もあるのではないかと感じます。

彼の行動は非難されるべきものですが、彼の成育歴にはいささか同情する余地があるのではないかと感じずにはいられません。

なので、自分自身の中に、「問題行動を起こしてしまった人に対する寛容さ」みたいなものが生まれているんです。

ヤフコメ欄では、パパ活疑惑の吉川赳議員とかたたかれていますが、彼の父親が愛人を作っていたり、いろいろと複雑な家庭だったようです。

一概に、その人を叩くのではなく、背景があるんではないか、という見方が私の中であるんですよね。

つまり、犯罪者や不祥事を起こした人に甘くなった、ということです。

この甘さが、カッコつけて言えば、寛容さになるのかもしれません。

しかし、自分が問題行動や犯罪をたくさんしたから、同類の味方をしたいという単純な発想なのかもしれません。

「哀しみは、人の魂を深くします」という言葉は本当なのか、私にはよくわかりません。

あとは、哀しみを経験すると、いやでも幸福論を考え始めるんですよね。

自分なりの哲学を育むことになります。

  • 留置場に入って自由が奪われた。
  • 解雇されて無職になった。
  • 友人関係が壊滅した。
  • 離婚した。

いろいろな修羅場的な局面を経験すると、

何が不幸で何が幸福なのかがなのかわかってくるんですね。

あとは、○○はあきらめる、○○は追及する、というような優先順位もできてきます。

例えば、留置場に入ると、好きな時間に本が読めるとか、好きな時間に運動できるとか、そういうことがどれだけ幸せだったのか痛感するのです。幸せの閾値がめっちゃ下がります。

逆に、SNSとか見ていると、うらやましいという感情がでてきて、幸せの閾値がめっちゃ上がると思います。

そういう、幸せの感じ方や、幸せになる方法について、哀しみを経験した後のほうが、うまくやれる気がしますね。

結果として、もっともっとを求めすぎず、ほどほどにじんわり楽しい人生を送れるような印象があります。

あとは、前科があるとどうしても制限があります。

同窓会に行ってみようとか、そういう会合には足を運べません。(特に性犯罪が周知の事実となっている場合は、メンタル的に無理です)

前科バレが心配になり、交友関係も狭くなりがちです。

また、極端な例ですが、国会議員に立候補したり、ネットで顔出しして集客するようなビジネスにも向きません。週刊誌やネトストに秘密を握られてしまいます。

つまり、連帯感とか自己顕示欲みたいなものを一部諦める必要が出てくるんですね。

そういう人生になってしまうと、よく考えるようになります。

戦略を立てるようになります。

どんな趣味を楽しむかとか。どんな仕事で生計を立てるかとか、どんな仕事が安全かとか。再犯しないためにはどうするかとか。

その、戦略を立てて生きていくことが、なんとなく生きていくことの対極にあるとは思います。

そういう意味では、「哀しみは、人の魂を深くします」と言えなくもないのかもしれません。

まとめると、他社への寛容さや人生の戦略を立てることが人生(魂)の深みにつながるのではないかと考えます。

そんな、かっこいい話にしちゃっていいのか、自分でもよくわかりませんが…

それでは今日はこの辺で。

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