登山で欲しいのは山頂の風景なのか?
登山は危険な行為で何人も死者を出しています。
特に冒険家がチャレンジするような難関の山は、酸素が足りなくなったり、足場が悪いなど過酷です。
これはどういう心理なのでしょう。
そこにある楽しさは、生きるか死ぬかというドキドキ感であり、スリルなのです。
山頂の風景が好きな方は、インターネット上に存在する風景写真を収集すればよいということになります。山頂の風景を堪能したいのであれば、いまならドローンを飛ばして疑似体験することも可能です。
しかし、それでは登山家たちの本来の目的である、生きるか死ぬかというドキドキ感は得られないのです。
クレプトマニア(万引き依存)が欲しいのは商品?
今回の話しで一番理解が難しいのがクレプトマニアだと思います。
商品を実際に盗んでしまっているわけですし、その商品が欲しくないのかと言えば嘘になります。
その盗んだ商品には興味があったのです。
ここで、大きな特徴として挙げられるのが、「自分で買おうと思えば買えるものも盗っている」という点です。
「自分で買おうと思えば買える商品」が欲しいのであれば、「購入する」というのが、安全で現実的な解決策です。
しかし、クレプトマニアは盗むのです。
これは行動制御の問題であり、その背景にあるのは、万引きが成功するか失敗するかというドキドキ感であり、スリルなのです。
セックス依存症者が欲しいのは射精の快感?エクスタシー?
同様に理解を悩ませるのが、セックス依存症です。
実際にセックスをしているわけですし、射精や恍惚感を得たくないのかと言えば嘘になります。
実際に性的な活動に興味があったのは確かです。
ここでの特徴は、「狙った異性と親密になれるかどうかのプロセスにも興味がある」という点です。
必ずしもセックスだけを目的としていないのです。
それを裏付けるように、セックス依存症者は複数の性的なパートナーとの関係を築いていることが多いです。
セックスを目的としていれば、相性の良い性的なパートナーが一人いればよいことになります。
理想の相手が一人いても解決しないのがセックス依存症なのです。
実際は目的がセックスではなく、それに至るプロセス(アプローチが成功するか失敗するかというドキドキ感)であるため、そのプロセスを多く味わいたいと思うからです。
また、セックスも普通のセックスではありません。
避妊をしない、時と場所を相手に選ばせない、相手が嫌がることをする(サディスティック)、事後に「どうだった?」と相手に聞いて自分のセックスの上手さを確認するというセックスとなることが多いです。
それは、セックスではありません。相手のことを愛して、つながりを求めるセックスではなく、足りていない自己重要感を補うための行為だったのです。
おわりに
性犯罪を犯して、警察・検察に言われたことがあります。
「どうして彼女がいたのにこんなことをしてしまったのですか?」
当時は答えることができませんでした。
なぜなら、自分も性犯罪の原因が性欲であると思っていたからです。
自分でも自分のことがよくわかっていなかったのです。
その質問をされてから、半年。
私も性依存症の勉強を重ねてきました。
今では、その警察・検察の質問にも答えることができます。
あなたならどう答えますか?
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