芦田愛菜の考える「信じる」

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芦田愛菜の1分10秒のコメントが話題を呼んでいたそうだ。

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「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思った」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

未成年なのに、しっかりした考え方をもっており、素晴らしいの一言である。

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ここからは、私の意見を述べたい。

彼女の言う通り、「その人」というのは実在しているけれども、

私が思う「その人」というのは、あくまで私が作り上げた解釈だったり幻想である。

「その人」そのものを解釈なしで受け入れるのは無理で、どうしても主観的な解釈が入り込んでしまう。

「あの人ならこんなことしないだろう」という期待は、あくまで「私のなかのあの人」ならこんなことしないだろうという期待である

実物と解釈は別物なのだ。

つまり、解釈が実物とズレているから、「裏切られた」とか「期待してたのに」という文句が出てきてしまう。

どうせうちの子供は食べるときに食べ物をこぼすだろう、とある程度正しい解釈をしていれば怒りや落胆は湧いてこない。(きれいにこぼさずに食べてくれるという期待があると、子供がこぼした時に怒る羽目になる)

だがしかし、そういう期待を全くしないというのも、味気ない。人生が面白くならない。

彼ならきっと私たちのことを守ってくれる。

無理かもしれないけれど、挑戦したい。

今の自分は成長しているんじゃないか。

そういった「根拠のない期待」が感動を生むんじゃないだろうか。

スポーツだって、アニメや映画だって、プレイヤーやキャラクターに聴衆は期待するものだ。その期待がかなえられた時、感動があり、勇気をもらえる。

理想像を思い描くことは悪い部分も良い部分もありそうだ。

いいあんばいに期待するというのが、一番良いのかもしれない。

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