「将棋が弱くなりたくない」
本書を読んでいて、強く共感したのが、著者の将棋に対する執念です。
「将棋が弱くなりたくない」という思いが非常に強いです。
これは、将棋が強いというところを人生のよりどころにしていたのだと思います。
うつ病の病気の具合も、将棋の「感性」が戻ってきたかで判断しようとしていました。
「私の将棋の敗因はどこだろう?」と負けた対局の後に相手に聞いていたそうです。
自分の負けた原因となる”悪手”が自分で分かっているということが、将棋の復帰に向けて重要だと考えていて、それこそが著者のよれば「感性」なのだそうです。その答え合わせが、対局者に聞いてみるということだったようです(通常は、ダイレクトの悪手はどこだったかと聞かないのがマナーなのだそうです)。
私にもアイデンティティーがあります。
それは、お金が稼げることと、仕事の能力があるということです。
それは、きっと幼少期に貧乏を経験したからでもありますし、反骨心というのが強いからだと思います。
最近はアルバイトができるようになりました。何か買いたいものがあるわけでもないのに、アルバイトを多く入れたくなる自分がいます。それは、きっと「自分は稼げるんだ」という証明がしたいのかもしれません。稼げることが自分のアイデンティティーなのだろうと考えています。
もう一つは仕事の知識だったり能力です。そこが、自分にとっては自信だったり威張れるポイントだったりします。俺は他と違うんだなんて、思ったりすることもあります。それが、性依存症によって無職になったことで失われました。とてもつらい経験でした。その期間を耐えて、今では、再就職の見込みが立ってきました。今では、再び仕事関連の勉強をしていて、一日何時間も勉強するようにしています。
偏見はなくならない
本書の最後には、兄と著者の会話シーンがあります。
そこは、本当に深く考えさせられます。
「うつ病への偏見はなくならない。」
「うつ病は当事者以外に理解できない病気。」
という兄が言うセリフが並びます。(だから、著者は本書を書こうと決心しました)
私も考えさせられました。
うつ病について、正直に申し上げれば、
「大変そうな病気だな」
としか思えません。
本当に自殺するイメージが湧いてきたことなんてないですし、
朝ベッドから起きられない
活字が読めない
判断ができない
という状況になったこともありませんから、想像できないのです。
うつ病の人が上記のような症状を言っていても、「本当か?」と疑ってしまうかもしれません。
それくらい、どうしても抜けない”うつ病への偏見”は私にもあります。
しかし、本書の解説(巻末にあるやつ)で佐藤優氏が指摘する通り、「わかろうとする努力を放棄してはいけない」でしょう。
うつ病が辛い病気であることは完全には理解することができないけれど、寄り添うことはできるということ、わかろうとする努力を放棄してはいけないということ、これらを本書や本書の解説から学びました。
逆に、依存症のことなんて、なおさら当事者にしかわからないと思っています。
「やめたいならやめればいいじゃん」といわれるに決まっています。
わざわざ、毎日デイケアに通って、ルールを決めたり、日記をつけたりして、何かを辞めようとしている人もいるのですが、
そんな人の気持ちを一般の人は理解できないでしょう。
それくらい、依存症も当事者にしかわからない病気であり、偏見に満ちていると本書を読んで再認識しました。
さいごに
この本を読んで、一番記憶に残ったのは、「みんな待ってます」という言葉です。
これは、著者が言われて一番うれしかった言葉だそうです。
将棋界を離れてから、将棋仲間に言われた言葉です。
精神疾患は、治療するときに一旦生活を変えます。変えるというか、昔の生活を封印します。
そうすると、無性に自信がなくなるんですよね。私って社会からいなくなってもいいんじゃないかと考えるときがありました(問題行動をしている自分は社会にとって害ですから当然の考え方かもしれません)。
きっと、それは鬱病の人も、依存症の人も同じだと思います。
そんな時に、「頑張って」とか「応援する」とかよりも
「待ってます」
という言葉の方が嬉しいなと思いました。
「待ってます」
本当に温かい言葉です。私にはあなたが必要です、というメッセージなんです。
あと、私も本を書きたくなりました。まだ回復途中なので本を書いて公開するレベルではありませんが、今のうちに原稿を書いていくのも面白いかもしれません。私が本を書くことで、私のように性依存症に悩む人の力になれるかもしれません。
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長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日以降も、毎日更新で行きたいと思います。
だいたい、毎日0時過ぎに更新しています。
お時間ありましたら、また明日もよろしくお願いします。
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