挨拶ができなくなっていたのを反省している

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挨拶とはプラスに働くが、絶対にマイナスに働かない。

それなのに、挨拶がなかなかできない自分がいる。

よく考えると、小学生くらいの時は挨拶なんて簡単にできていた。

いつからできなくなってしまったのか、内省している。

社交的になりたい

精神科のデイケアに行くと、必ずメンバーさんと挨拶をする。

「その服かっこいいですね」とか「いい体つきですね」とかお世辞を言ってもらえることもある。

「最近寒いですね」とか「雨で嫌ですね」とか天気の話から会話が始まることもある。

今まで、私は非社交的であり、自分から会話の口火を切ることが苦手だった。

そして、自分は特別なのだから、相手が話しかけてきてくれるのが当たり前だと思い込んでいた。とんだナルシストである。

今では何かの話題をきっかけにわざわざ自分に話しかけてくれて嬉しいなと思うことができる。大きな進歩だなと感じている。

自分も積極的に話しかけるようにしているし、人間関係は大切にしたいと思っている。

小学生のときはできていた

思い返してみると、小学生のときは挨拶とか、話しかけるとかが不自由なくできていた。

今度お家に遊びに行ってもいい?という風にズケズケと話しかけていたように思う。

いつからか、非社交的になってしまった。

大人になると、小学生のときよりは人と人の間に見えない壁があるように感じる。

これを言ったら失礼かなとか感じてしまうし、小学生の時よりも周囲の人が威圧的に見える。

急に話しかけたら、自分は怪しい奴と思われるんじゃないかとも身構えてしまう。

また、自分にプライドのようなものが形成されてしまった。

相手を見下してしまうし、自分は何か特別なものだと思い込んでしまっていた。

初対面で「この人と話してみたいな」という人はなかなかいなかったし、いるとすれば何らかの形で自分が利用できる”搾取対象”であった。本当に酷い話である。

これは自己愛性パーソナリティ障害の私に特徴的なものかもしれない。

あとは、物理的に話しかけにくい。

イヤホンやヘッドホンをして、スマホを凝視している人が本当に多い。

大人になると、話しかけられるのを待っている人はほとんどいない。

挨拶をしよう

今後は、少なくとも目があった話しかけてもよさそうな人には声をかけたいと思う。

変な奴だと思われたくないし、挨拶だけをするのが良さそうだと思っている。

そこで、意気投合すれば、天気の話題でもいいし、きっかけを作って話してみたい。

人間関係が人生を幸せにするのだから、チャンスは逃したくない。

身構えてしまうのをやめよう。

変なプライドを捨てよう。

挨拶をしよう。

小学生ときはできていたのだから。

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