一週間
今週は彼女の入院・治療などがあり心境がざわつく週だったが、問題行動なく過ごすことができた。
今週は「外出しない」ということを心がけていた(意識的にというよりは無意識に近い)。
お見舞いに行く以外は、近くのスーパーにしか行っていない。
GPSアプリ上で彼女を安心させたいというのもあったが、メインは「自分に勝つ」というようなわけのわからないこだわりだ。
もともと私は完璧主義者でこだわりが強いので、自分の性質を良い方に使うことができた。
以前よりも自分と向き合えているような気がする。
久しぶりのランニング
そんな中で、ランニングが1週間くらいできなかった。
今日は久しぶりにランニングをした。シャワーを浴びた。今、気持ちよくキーボードを叩いている。
やはりランニングはいい。
私のランニングは、だいたい7kmを30〜40分で走る。川沿いの気持ちの良い道だ。
序盤は気持ちよく走る。
どこかの夕飯の匂いや、散歩している人、連れられている犬やお子さん、ジョギングする人、柵に留まっている鳩、トンネルの近くにいる猫、公園でヨガをする外国人などを眺める。
ジョギングしている人には軽く会釈する。だいたい会釈が返ってくる。
自分の体じゅうの血管に血が巡る感じ、横隔膜を使って空気を肺に取り込む感じ、心臓が血を駆出する感じをありのままに感じる。
いわゆるマインドフルネスのような良さがあるし、挨拶は社会との繋がりを感じる。
後半はペースを上げるのでしんどくなる。心拍数が上がって挨拶もできないくらい辛い。
「もう走るのはこの辺でやめてしまおうか」とか「ゆっくり走りたい」という悪魔の囁きが聞こえてくる。
「ちょっと足が(腰が)痛いのだしいいじゃん」という悪魔の囁きを正当化するような考えが湧いてくる。
それを跳ね飛ばして、追い込む。
追い込んでいるときは不思議なもので、辛くなくなる瞬間がある。
無意識と意識の間にブァーっと考えが浮かんでくるのだ。
今日はあれが嬉しかったとか、今日はあれをやり忘れているとか、必死に走っているのに能天気な事柄が湧いてくる。
フローとかゾーンというのかもしれないし、ランニング用語でいうとセカンドウインドというのかもしれない。
その感覚が、なんともいえない過集中なので心地よい。
心地よいのもずっとは続かず、また辛くなってくる。
目の前にランニングコースが広がっているのをありありと感じ、ゴールが遠いなとか感じる。
もう限界だという感じ。
そこでは、最近は精神力が鍛えられているという感じがしている。
自分は趣味のためというよりも依存症の治療として(運動療法として)走っている。
辛いときはここが踏ん張りどころだと言い聞かせてゴールを目指す。
ゴールした時は達成感でいっぱいである。
自分が成長しているなという感情が得られる。肉体的にも精神的にも。
だから、辛いところもあるがやめられない。
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