依存症は治るのか?

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「依存症は治らない」という言葉があります。

「依存症は治らないけれど、回復はできる」とか「やめ続けることはできる」という言葉もあります。

どれが正解かわからないですし、考え方は人それぞれだと思います。

私なりの見解をここでお示ししたいと思っています。

依存症当事者の心の階層

問題行動を開始

まず、初めに、問題行動の初回から考えていきたいと思います。

その原因は、対人関係の障害など様々なネガティブな感情があると言われています。

問題行動をしてしまい、「すっきりする」「ドキドキする」などの感情を得ます(ドーパミンの分泌)。

そうすると、繰り返すようになります。

物質依存では濃度が濃くなったり、行為依存では難易度を上昇させたり、大胆になる傾向にあります。

ここまでで、実は、依存症当事者も自分の行動が異常であると気付いています

自分で、問題行動を繰り返してしまう精神的な病気についてインターネットで検索してみたりすることもあるでしょう。

薄々「自分はおかしいんじゃないか」と感じているのです。

認知のゆがみを作り出し、私は病気じゃないと否認する(第1の否認)

しかし、自分はおかしいと考えると身が持ちませんから、認知のゆがみを作り出します(中和)。

認知のゆがみ(性犯罪の場合)
  • 「被害者にも非があった」と責める
  • 「これくらいいいだろう」「多少の被害を騒ぎ立てるな」と犯罪を許容する
  • 「被害者は抵抗すべきだった」と不可能なことを求める

問題行動の反復が行われてから、私は病気じゃないと否認するところが依存症者の最初の段階だと考えます。

この段階での症状が、嘘、裏切り、辻褄合わせ、取り繕いです。依存症者にとっては”症状”ですが、周囲の人(とくにパートナー)にとっては”被害”となります。

この時の態度が原因で、周囲の関係者と関係が悪化しますし、パートナーから永遠に「許せない人」になる可能性もあると思います。

底つきから、私は病気だと気付く

しかし、現実的に問題行動がやめられていない点や、日常生活・社会生活が破綻してしまうことを痛感し(底つき)、私は病気だと気付きます

そのあとは、カウンセリングや精神科に通院することで、病気と向き合います。

いつか治るだろう(第2の否認)

その時に、「いつ通院がやめられるのか」と考えてしまいます。

自分は病気だということは分かったのですが、いつかは治るだろうと楽観視しているのです。

一生治らないと気付く

そして、治療を受けている中でも、問題行動への渇望が強いことや、問題行動への興味はなくならないことを痛感します。

また、治療を受けている中で、他の患者さんが「もう治療して10年です」などと言っているのを聞くと、「そんなに長期間治療しても治らないのか」とか、「もう完全に治っているように見える人が油断せずに通院継続している」という事実から、依存症は一生治らないと気付くことになります。

以上が、私の考える依存症当事者の考え方の段階です。

次のページからは、私個人の考え方の変遷について、ご紹介させていただきます。

コメント

  1. KK より:

    今回の記事も勉強になりました。
    慢心せず、しかし安らぎがある。
    そういう状態にたどり着けるよう、私も自らの依存症と向き合っていきたいと思います。

    • 性依存.com より:

      コメントありがとうございます。
      「慢心せず、しかし安らぎがある」という状態はとても素敵ですよね。
      そういう境地にお互い至れるように、依存症と向き合っていきたいですね。