依存症の定義

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依存症の定義というのは色々な人が色々なことを言っている。

あなたの中にはどんな定義があるだろうか。言語化できるだろうか。

私のなかでいくつか思い浮かぶ定義があるので紹介したい。

継続できなくなった習慣

今までで一番しっくり来たのが、「継続できなくなった習慣」という言葉。

端的に、生活に支障が出てしまっている様を言い表しているし、自分の意志でどうにもできないという特性を習慣と分かりやすく表現している。

これは、残念ながらどこで仕入れた知識なのか忘れてしまった。インターネットサーフィンをしているときにたまたま出会った言葉だと記憶している。出典が示せず申し訳ない。

価値観の転倒

他にも、松本俊彦先生の定義も考えさせられた。下記動画をぜひ見て欲しい。

「自分の中の“大事なものランキング”の順番が狂ってしまうこと。価値観の転倒。」

深く考えさせられる。

以前のブログ「治療する動機」でも触れたが、治療をする上で大切なのは、問題行動よりももっと幸せなこと(私は”自己実現”と表現)があるということだと思う。問題行動が一番上の幸せと感じてしまうのが依存症なのだ。

私の場合は、順番が入れ替わっているというよりも、大事なことを忘れてしまうという言い方の方がしっくりくる。

いずれにしても、問題行動が最大の喜びであるという価値観の混乱やズレが依存症の本質なのかのしれない。

一時的に安らぎをもたらしてくれるもの

これまでは依存症に対して否定的な言葉を紹介したが、自己治療仮説では様相が異なる。

自己治療仮説では、”依存症は何をもたらしてくれたか”という視点で見ることが大切だと説く。

そう考えると、依存症の定義は「根本にある困難や苦痛は解消してくれないが、一時的に安らぎをもたらしてくれるもの」といった具合になろうか。単に安らぎをもたらしてくれるものではなく、”一時的”であって、根本にある困難や苦痛は解消してくれないというのが味噌だ。

さいごに

依存症の定義は皆さんどんなものをお持ちだろうか?

この中に自分の定義と似ているものはあっただろうか?

もしも、今までそんなこと考えたことがないという人がいたら、ぜひこの中の一つ二つを参考に、自分なりの定義を作り上げて欲しい。そういう自分でひねり出した言葉というのは、いつまでも忘れないものだし、自分を支えてくれるはずだ。

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