自分の説明書はない
「私」という人間について。
説明書を読んだことがある人はいない。説明書はないのだから。
じゃあ、生きていくうちに自分のことを分かってきただろうか。
多分少しは分かってくるけれど、完全に分かっている人なんていないだろう。なぜなら、客観視というのが相当に難しいから。
自分の声の録音を聞くと、「あれ、こんな声なの?」となるのは客観視ができていない証拠だ。自分の動画をみると、動作がかっこ悪い。「いつもその動作やってるよ」なんて友達から指摘されて余計に恥ずかしい。街中を歩いていて、ショウウインドウのガラスに反射した自分の姿をみて、「姿勢悪い」と思ったのか、姿勢を急に正す人も多い。
意識して取り組まなければ、客観視なんて無理なのだ。
他人と比べて足が遅いなとか、勉強ができるなとか。
それくらいは、順位だったり偏差値だったりで把握できる。
でも、順位や偏差値がつかないものが厄介なのだ。
その人のパーソナリティやその人が目指す人生観(人生哲学)。
これがなかなか難しい。
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