社交とは、他人に合わせることであり、自分を捨てることだ。
誰かと接するためには、個性や気分の相違の為に、必ず不調和が生じる。
人前では、「いい自分」「社交的な自分」を演じてしまい、帰宅したらドッと疲れが押し寄せてきたという経験がある人も多いだろう。
社交とは、頑張ることであり、疲れることなのだ。
一方で、自己の内面の空虚と単調から社交の欲求が生じるのもまた事実である。
孤独を避けたいというのは、人間の根源的な欲求の一つだ。
まとめると、孤独を解消したいという欲求もあれば、社交で不調和が生じ疲れてしまうという性質もあるのが人間だ。
なんとも、生きにくい矛盾を抱えている。
じゃあどうすればいいのか。
社交での不調和を力でねじ伏せようとしてしまうと、その時は自分の意見が通り気持ちいいかもしれないが、結果として本人が孤立することになる。
不調和を受け入れていけば、孤立は免れるが、不調和からくる疲労は並大抵のものではない。
人間関係のバランスは実に難しい。
これを、分かりやすく表しているのが、会話での話し役・聞き役の関係だ。
話し役はとにかく気持ちいい。自分の主張ができる。会話によるストレスもないだろう。一方で、自分の話ばかりしているから、嫌な奴と思われて、孤立してしまうかもしれない。
聞き役は、皆から好かれる。話を聞いてくれる人というのは、どこにいっても愛される。一方で、話を聞くのは労力を必要とし、疲れてしまう。
会話も、人間関係同様に、バランスが難しい。
この、難しいバランス問題から逃避するのは解決策の一つである。
「孤独と向き合い、孤独を楽しむ」のだ。
一人で、自分のやりたいことをやる時間というのは、かけがえのないものだ。
もし、あなたの心のバランスが崩れているならば、「孤独と向き合い、孤独を楽しむ」時間を意図的に設けてみるのはいかがだろうか。
人間関係はバランスが非常に難しいから、疲れてしまったら、いったん避難する勇気をもちたいものである。
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