「欲しい」と「好き」の違いについて

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私が思ったのは、

「これが欲しい」と泣いて駄々をこねている子供はいますが、

「これが好き」と泣きわめく子供はいません。

つまり、「好き」よりも「欲しい」の方が強力です。

他には、

「欲しい」という時に、こだわりがないときがあります。酒なら何でもいいや、チョコなら何でもいいや、コーヒーなら何でもいいや、ってなるときがあります。

「好き」という時は、すごくこだわりがあります。「この銘柄のこの種類が好きです」という風に、かなりマニアックな状況です。

また、

「欲しい」というのは、実は人に隠しておきたかったりします。なんとなくですが。

一方で、「好き」というのは、「○○にはまっているんだよね~」と人に紹介したいです。「ここがいいんだよね」と、マニアックぶりを披露したくなるかもしれません。

欲しいというのは、 自分のものにしたい・手に入れたいということですので、どちらかというと、何かの帰属先を自分に変更したいという欲求なのだと思います。対象を好きかどうか、大切にしたいかどうかは関係ありません。

好きというのは、心が惹かれること・気に入ることですので、帰属先どうこうという問題ではなく、対象を愛し、大切にしたいという欲求なのだと思います。

欲しい、というのは、ちょっと乱暴で、自己中心的で、強力なイメージで、

好きというのは、リスペクトという意味合いも入った、愛情のある柔らかいイメージです。

花が好きな人は花に水をあげ、花が欲しい人は花を摘み取る

以上が私の解答になります。

多分、この問題の先には、「依存症の問題行動は好きではなくて欲しいだけ」というメッセージが込められているじゃないかと思います。

結局は、盗撮も痴漢も、「できそうならだれでもいいや」「手に入れたい」という感じだと思うので、「欲しいだけ」です。

特権意識みたいなものが性犯罪にはつきものですので、自分がしてやったぞという達成感・コンプリートした感じというのが、まさに「欲しいだけ」という状況でしょうか。

盗撮や痴漢が”好き”なのであれば、「こういう状況で、こういう対象が好きなんです」という”状況や対象の指定”が行われなければなりません。しかし、こういう状況や対象の指定が行われている人というのは少数だと思います。

そして、本当に性のことが好きなのであれば、異性に対して尊敬し、愛情をもって接することが必要だと思います。

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