最近は、朝6時台に起床し、7時過ぎには出勤することが多くなりました。
私の人生において、こんなに早起きをする経験は少なくて、
この朝方の生活はなかなかなれません。
朝起きると、妻と子供が仲良く横に並んで寝ています。
子供の寝顔からは、母親に守られ安心している穏やかさを感じます。
妻の寝顔からは、子供を守る母性を感じます。いつも、妻は子供の方を向いて寝ていて、手で子供を包んでいるときもあります。
私は、彼女たちの健やかな温かみのある寝顔をみてスタートする一日が大好きです。
朝は、妻が水筒に水を入れて用意してくれています。
夜中~朝方のミルクのタイミングで、水筒を用意してくれているようです。
台所に、水の入った水筒がポツンと置いてあるのです。
感謝しかありません。
仕事に行くと、妻と子供が元気かなと考えることがあります。
あと、精神科のメンバーさんは元気かなと考えたりもします。
とにかく、色々な人のことを考えることが多いですね。
なぜかわかりませんが、色々な人の顔が頭に浮かぶんですよ。
人との結びつきを感じますし、こういうつながりは大切にしたいです。
ところで、
人生の意味を考えると、何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死にますよね。
そうすると、何かを獲得する人生にしても意味がありません。
私なりに考えると、
気分よく、ご機嫌に生きていくのが1つ目のポイントで、
もう一つは、何を残せたか、だと思います。
結局は、宇宙・地球・自然という大きな流れの中に、私たち人間が組み込まれているのですから、
生まれては死んでいく流れに逆らうことはできません。
誤解を恐れずに言えば、人生に意味なんかないと思います。
生きている間に、辛くなければ、それでいいのです。ご機嫌に生きていくことができれば、大成功です。
その、ご機嫌に生きていくコツの中に、
高価なものを買うとか、容姿を自慢するとか、そういうことも含まれているのかもしれませんが、
配偶者を得る、子供を得る、社会の構成員として勤労する、他者貢献、コミュニティーに属して支え合う
といった、人間が本来持つ生物学的な欲・社会的な欲を満たしていくというのも大切だと考えています。
なんだかんだ、健全な形で欲を満たしていくのが、ご機嫌のコツなんじゃないか、と考えます(その”健全な形で”というのがポイントなのかもしれませんが)。
何を残せたかについてですが、
死んでいくときに何も持っていけないですが、残すことはできます。
あの人はいい人だったね、という記憶。
あの人が創ってくれた学校は素晴らしいね、という貢献もありますよね。
井戸だっていいし、子孫だっていいし、芸術作品だっていいと思います。
そういう風に、何かを残すことで他者貢献するというのが、良いと思います。
色々考えてみると、私たちは先人の歩んだ道筋を活用して、新しい未来を切り開いているようにも思うので、
受け取ったものを、次世代につなげていきたいですし、自分の代で受け取ったものをブラッシュアップできたら、素敵なことではないでしょうか。
まとまりのない文章ですいません。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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