松本先生の「誰がために医者がいる」を読んでいます。
そのなかで、50cmの柵の話が出てきます。
自殺者が多い橋があって、そこに建築会社が高さ50cmの柵をつけた話です。
精神科医である筆者は、2mの柵といのちの電話の広告を要請したのですが、景観の問題などで却下されてしまい、結局50cmの柵だけとなったのです。
これでは、大人は簡単に乗り越えてしまうから、全然意味がないと筆者はみていました。
しかし、結果は違ったのです。
50cmの柵は効果てきめんでした。
自殺者が激減したのです。
もちろん、自殺志願者の心の問題解決していないから、他の場所で自殺をしたのだろうという邪推も成り立ちますが、それも推測の域を出ません。
結局、50cmの柵で効果があったのです。
筆者は、自殺既遂者は最後の瞬間までスマホをみていて、誰かから連絡が来ていないか確認するようなそぶりを見せていたことや、海ではなくて陸に向けて身を投げることなどから、「人とのつながりを最後まで求めていた」「自殺するか迷っていた」と指摘しています。
そして、迷っている状態で、たった50cmでも柵があれば、自殺は踏みとどまることができるということが証明されたわけです。
私は自殺だけではなく、問題行動もそのような側面があるのではないかと思うのです。
つまり、盗撮、痴漢、風俗利用、不倫にしろ、はっきりとやりたいと思ってやっているのではなくて、迷い、悩み、その上で間違って進んでしまうのではないかと思います。
その時、たとえばおなかが空いていたとか、寒かったとか、聴きたい音楽があったとか、そういう些細な事で問題行動が止まることもあると思うのです。
この発想は、あまりに依存症者に寄り添った考えなので、気分を悪くされた方がいたら申し訳ないのですが、
問題行動をすることが明らかに損なのに、問題行動を実行してしまった人を私は多く見てきました(自分自身ももちろんその一人です)。
その、問題行動をするかどうか迷っている状態の時に、些細な事でもストッパーがあれば、踏みとどまることができたのではないでしょうか?
私は、本当に些細な取り組みが、問題行動を抑止すると思います。
自分にとって50cmの柵は、家に帰って「ただいま」ということです。
きれいごとに聞こえるもしれませんが。
今、深夜2時ですが、ブログを書きながら、ふと思いました。
「ただいま」という言葉が、私を繋ぎ止めているように思います。
私にもし「ただいま」をいう相手がいなくなってしまったら、私は今の状態を保つことができないかもしれません。
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