さいごに
私は、性依存症で、セックスや性犯罪が嗜癖です。
それらをやりたいかと聞かれると、正直なところ「やりたい自分とやりたくない自分が共存している」という回答になります。両価性感情というやつです。
では、いま問題行動をしない自分というのは、我慢しているのでしょうか。
たしかに我慢しています。しかし、それよりも言いたいのが、自己実現をしている最中だということです。
セックスや性犯罪が全くもって許される状況になったとしても、それらをしたいとは思いません。それは、自分の人生がコントロールできなくなってしまうことを意味しますし、操り人形のようになってしまいます。「操り人形」というのは、セックス・性犯罪という邪悪なものが糸を操っていて、自分はそれにぶら下がっていて、自分の意志で動くことができない、というようなイメージです。
そんな操り人形にはなりたくありません。
■今日の主張のまとめ■
何かを我慢することは自己実現
コメント