『自省録』を読んで①

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表象(phantasia)

表象という概念があります。

何か外にある刺激を、人間は感覚器官を通して受け取ります。

そのとき、心に刻まれるのが、表象です。

そして、表象が「理性によって承認」されたときに、認識の中に取り入れられるべきとアウレリウスは考えます。

「理性によって承認」とは、余計な判断を加えないということであり、また、虚偽のもの、明晰でないものを承認しないということでもあります。

アウレリウスの言葉を引用してみます。

最初に現れる表象が伝える以上のことを自分にいうな。何某がお前のことを悪くいっていると告げられた。それは確かに告げられた。だが、お前がそれによって害を受けたとは告げられなかった。私の子供が病気であるのを私は見る、確かに見ている。しかし、危険な状態であるとは見ていない。このように常に最初の表象に留まり、自分で内から何一つ言い足すな。そうすれば、お前には何事も起こらない。むしろ宇宙に起こるすべてのものを知っているものとして言い足せ。(8・49)

お前が何か外にあるもののために苦しんでいるのであれば、お前を悩ますのは、その外なるものそれ自体ではなく、それについてのお前の判断なのだ。(8・47)

事物は魂に触れることなく、お前の外に静かにある。苦悩はお前の内なる判断からだけ生じる。(4・3)

同上

どれも、なるほどなと思う文章です。

この考え方は、「7つの習慣」でも、「刺激と反応の間にスペースがある」という表現で出てきます。

「表象」について複数の書籍で触れられていることからも分かるように、人間は表象をみるのではなく、余計な判断をしたり、虚偽や明晰でないものに惑わされやすい生き物なのでしょう。

書評
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