「その悩み、哲学者がすでに答えを出しています」レビュー

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親鸞の思想

親鸞の思想で「悪人正機」説というものがあります。

煩悩を断ち切れず、悟りを開くこともできない悪人(凡人)こそが、阿弥陀如来の導きにより救われるという教えです。

ここでは、善人と悪人の意味がすこし現代と異なりますので、確認させてください。

善人:自分の取り組みで何とかできると思っている人

悪人:愛欲や金銭欲に自分が無力であり、罪深さをみつめ、深くあきらめる人

注意点としては、悪人は”悪いことをしてもいい”と開き直っているひとではありません。自分自身の欲に無力であると感じ、傷つき、自己嫌悪に陥っているのです。

以上をまとめると、自分でどうにかできると思っている人よりも無力であることを認めた人の方が救われるという考え方です。

まさに、性依存症と関連があります。依存症は「治せるんだ、気合で我慢だ」と思っている人(善人)と、「依存症になってしまったので自分は性に無力であるから環境を変えていかないといけない」という人(悪人)の話にも聞こえてきます。そう考えると、後者が救われるというのは納得します。

悪人が行き着く心境が「他力」です。自力で何とかしようという気負いが抜けて、弱さをさらけ出し情けない有様になることをいいます。

「他力」と聞くと、自分一人では回復が難しいと悟り、精神科に通院したり、自助グループに通う当事者の姿を思い浮かべます。「私は性依存症者です」とあきらめの境地でミーティングで宣言するのも、「他力」だと思います。そして、身をもって体感しているのですが、「他力」という考えに至った方が、心が軽くなりますし、問題行動から遠ざかることができています。

親鸞は今から1000年ほど前の人物ですが、1000年前の人の知識で自分が楽になれるヒントをもらうとは思ってもいませんでした。この出会いに感謝したいと思っています。

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